明智光秀の別人さに驚く
NHKの大河ドラマは、戦国時代をテーマにしたものが多いですね。
私は歴女でもなく、山川の日本史シリーズで学んだ程の知識しかありませんが
同じ戦国武将でも、その描き方がドラマごとに全然違っていて驚きます。
最近の一番の衝撃は、明智光秀。
2020年の「麒麟がくる」で、長谷川博己さんが演じたかっこよくて切ない光秀と
今放映されている「どうする家康」で見た光秀が、別人レベルで違い、驚きました。
同じ人なのに描き方が全然違う
別人レベルだったのは、俳優さんのイケメン度とかではなく、その「描き方」。
明智光秀がいったいどういう人で
本能寺の変に至るまでの環境や背景はどうだったか。
ドラマはフィクションとはいえ
ベースは現存する様々な資料を専門家が分析し、ある程度確定された史実のはずなのに
解釈にはかなりの幅というか差があります。
これって遺産分割協議のときの、相続人ごとの記憶の差に似ているなあと。
家族の中で、過去に起こった「事実」はひとつのはず。
でも、相続人のみなさんが各自「覚えていること」にはズレがあり、時には大幅に違っていたり。
人間は、自分の認知的不協和を解消するため
大なり小なり、都合のいいように記憶を変えてしまうからかもしれませんが。
誰の目を通して見た事実かにもよるから
それに、戦国武将に関しても
現存する資料は、誰か特定の立場や意図を持った人によって、語り継がれたもので
事実はひとつでも、それが誰の目を通して見て語られた事実なのか。
それ次第で、善と悪は180度変わってしまいます。
相続も同じで、「完全に客観的な立場の第三者」という存在は
私たち専門家を含めて誰もいません。
空中から全体を、俯瞰しているだけのドローン人間でもいれば別ですけどね。
歴史も遺産相続も、「これが事実で善」だと呼べるものはないよね、と
明智光秀の最期を見ながらぼんやり考えていました。